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文章上達法>①うまい文章とは?…技術以前の心構え

①うまい文章とは?…技術以前の心構え

「うまい文章」をめぐるホンネとタテマエ

 「うまい文章とは、わかりやすい文章のことだ」というようなことは、どの文章読本にも書いてあります。たいていの方は、これでいちおうは納得するでしょう。

 でも、「もっと格好いい文章が書きたい」、あるいは「人からうまい文章と言われたい」というような願望の強い方には、今ひとつ釈然としないアドバイスかもしれません。私はその先が知りたいのだ、と。

 そもそも文章を書きたいという気持ちは、自己表現欲求のひとつです。仕事でいやいや書く企画書などの文章を別にすれば、文章は書くことそれ自体が快感につながっているはず。その先に、自分の書いた文章の読者がたくさんいることを想像するだけで、精神は高揚してきます。その意味では文章を書くことは、自分の描いた絵を展示会に出品したり、人前でカラオケを歌ったりするのに似ています。

 しかし、自己表現欲求は、文章力が一定の水準にないと、逆にストレスになってきます。書きたいのだけど、自信がない。そのジレンマから、多くの人は「文章がうまくなるクスリ」を求めます。「わかりやすい文章」という処方箋は、タテマエに過ぎない。もっと私のホンネに答えてよ、というわけです。

うまい文章で自分を高く見せたい欲求

 うまい文章が書きたいと思う人にアンケートをとったわけではありませんが、どんな文章を書きたいかと問われれば、その答えはおそらく、次の二つに集約されるでしょう。

①自分を高く見せる文章を書きたい。
②言いたいことをうまく伝えたい。


 わかりやすい文章とは、主に二番目の「言いたいことをうまく伝える」ための処方箋です。言いたいことが伝わらないのでは、自分を高く見せることもできませんから、だれもが納得するのではないでしょうか。でも、ホンネは一番目にあります。

 
 文章で自分を高く見せたい。早い話が自慢したいわけですが、この欲求は「はしたない」の一言で否定できるほど単純なものではありません。どんなに控えめな人でも、自慢したい欲求を消し去ることは不可能でしょう。

 世の中には自慢ばかりしている人がいる一方で、やたらに謙遜しまくる人も存在します。両者は正反対のように見えますが、これは表現形態が逆になっただけで、根っこの部分では似ています。自慢屋は素直で、自分の欲求に忠実な人です。自慢ばかりするのは、それだけ人に認められたいわけで、裏を返せば自信のなさの表れともいえます。

 一方、謙遜屋さんは、自慢していると思われるのがいやな人です。「口ほどにはたいしたことがないな」と、あとで自分の価値が下落するのを防ぐため、最初から低く構えているわけです。自分を下げておけば、あとは上がるばかり、とういうのが謙遜屋さんの戦略。ほめられたい欲求が意外に強いのです。

 自分を高く見せたい、自慢したいという欲求は、よくいえば向上心の表れでもあり、それ自体を否定するわけにはまいりません。重要なのはその中身です。

評価されたいのは知性か、感性か?

 どんな人でも、自分の書いた文章が幼稚だとか、内容がつまらないものだと思われたくないでしょう。自分のどこの部分を高く評価して欲しいかはいろいろあるでしょうが、煎じ詰めれば次の二つになるはずです。これもアンケートをとったわけではありませんが…。

①自分の知性を高く評価して欲しい。
②自分の感性を高く評価して欲しい。


 知性の高さを感じさせる文章を書きたい人は、男性に多いようです。男は人から「バカ」と思われるのがつらいのですね。それに対して、感性の豊かさを感じさせる文章を書きたい人は、どちらかといえば女性に多いでしょう。利口な女よりも、感性の豊かな女性のほうが魅力的だと、世間がそう思っているからです。

 究極の知性は哲学にたどり着きます。そして、感性の行き着く先は芸術です。エッセイはその中間あたりを、あてもなく漂っている存在でしょうか。

文章技術と心のありか

 さて、自分の知性または感性を、読み手に高く評価してもらいたいという欲求そのものは、人間にとって自然なもので否定できませんが、それはあくまで文章の中身にかかわることです。知性や感性は文章技術の問題ではありません。これをはき違えると、文章はおかしい方向に行きかねません。

 たとえば、知性を高く見せたいがゆえに、ことさら難しい言葉を使ってみたり、切れ目のない長い文を書いたりすることです。その結果、わかりづらい文章になり、言葉に振り回されているような印象を与えてしまうわけです。

 また、どんなに文章技術が高くても、一つの文章に内容が詰まりすぎていて、全体にまとまりのない印象を与えると、読者はそっぽを向いてしまいます。

 自分が何をいちばん書きたいのかをしっかり意識することは、技術以前の問題として大切なことです。そんなことは言われなくてもわかっている、と思われるかもしれませんが、かなりの書き手でも欲張って余分なことまで書いてしまうものです。その結果、文章全体が散漫になり、焦点がぼやけることも少なくありません。

 偉そうにこんなことを書いている筆者でも、あとで読み返してみると同じ轍を踏んでいることがよくあります。推敲の時間の大半は、舌足らずの表現を補うとともに、余分な部分を削除する作業に当てられる、といってもいいくらいです。

文章とは読み手へのサービス

 いざ文章を書くという段になると、とかく自己表現の意識が強く出がちです。しかし、文章が誰かに読んでいただくものである以上、「読み手へのサービス」という視点を忘れてはなりません。

 文章技術の一つである「簡潔でわかりやすい文章」も、読み手の負担を最小限度にして、内容を早く正確に伝えるという読者サービスの面を重視したものです。文章では、書き手の快感よりも読み手の満足度が大切なのです。

 ひるがえって、「何を書くか」という文章技術以前の問題でも、読み手へのサービスを意識することは大切です。自分が知らせたいことや訴えたいことと、想定される読者が読みたいことの狭間で、折り合いをつけなくてなりません。ことさら読み手に迎合する必要はありませんが、面白くなくては読んでもらえません。独りよがりにならないように注意することは、内容と表現の両面において常に必要です。

 とはいえ、自分の文章を「独りよがりだ」と気づくのは、特に書き終えた直後では至難の業です。文章表現への思い入れが強く、客観的になれないからですね。そこで、文章を発表する前に最低でも一晩は寝かした上で、読者になったつもりで読み返してみるとよいでしょう。家族や友人に読んでもらうのも一法です。


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