難しい漢字の使用|背伸びや気取りは禁物
漢字に凝っても、書かれた内容は高まらまい
漢字は、常用漢字で認められる範囲を使用するのが原則です。もちろん、どんな漢字を使おうと、基本的には書き手の自由です。表現上、どうしても常用漢字外の文字を使いたいこともあるでしょう。専門用語などの場合は、他の言葉に置き換えられず、さりとて仮名では間が抜けてしまうこともあります。それでも、文章は人に読んでもらうことが前提である以上、できるだけ難解な漢字を避けるよう努力すべきでしょう。
漢字にこだわりを持ち、ことさら難しい漢字を使いたがる方は、一方で仮名にもこだわりを見せます。たとえば、次のような漢字の使い方を見かけたことはありませんか。
①老いた父の面倒を看るのはとうぜんだが、拙い芝居を観せてしまったと後悔した。 ②この場所を憶えているかと言われ、一頻り幼年期の思い出に浸った。 |
棒線を引いた箇所の漢字は、別に間違いではありません。いかにも雰囲気が出ていて、神経が細かく行き届いている、という意見もありそうですね。でも、漢字に対する密かなこだわりと、ある種の気取りを感じませんか。漢字のバランスもちぐはぐです。
たとえば「とうぜん」と、ここで仮名にこだわる気持ちはわかりません。それなら「拙い」も仮名にすべきでしょう。しかも「拙い」は「つたない」と読むのか「まずい」と読むのかわかりません。
漢字の選択においても、個々の単語のニュアンスにこだわるあまり、平易性を失っています。「面倒を看る」「芝居を観る」「場所を憶える」は、本来の意味からすればこれが正しく、そうしたい気持ちはよくわかります。でも、あまりディテールにとらわれる必要はないと思います。読む人の都合を考えれば、なるべく簡明にしたいのです。
次のように書き直してみると、すっきりした感じになります。
①老いた父の面倒をみるのは当然だが、まずい芝居を見せてしまったと後悔した。 ②この場所を覚えているかと言われ、ひとしきり幼年期の思い出に浸った。 |
最近は、若い人ばかりでなく六十代、七十代の方でもパソコンで原稿を書く人が増えてきました。そのため、手書きでは書けない漢字でも自由に使える便利さから、難解漢字が多用される傾向が見られます。
中には、「難しい漢字をたくさん使ったほうが、教養が高く見える」という思い込みから、半ば無意識に漢字を使いたがる人もいらっしゃるようです。確かに、漢字能力は教養のバロメーターの一つにはなりえますが、背伸びはすぐにバレます。そんなことよりも、文章から伝わるその人らしさがにじみ出れば、そのほうがはるかに好感をもたれると思うのですが…。
ただし、漢字の少ない文章がよいというわけではありません。一般的には漢字が3割以下になると幼稚な印象を与えます。逆に、5割を超えると硬い印象になり、人によっては読み続けることに困難さを感じてしまいます。
「ひらがな」はやわらかな印象を与えますから、エッセイには向いています。また、論文においても、ごつごつした論理の中で、仮名が一種の緩衝材のような役割を果たします。仮名の持つ味わいを再認識してください。
新聞や雑誌では使わない漢字
新聞社や出版社では、漢字などの表記法について独自に基準を作っています。その基本となっているのがすでに述べた常用漢字ですが、常用漢字であるか否かに関わらず、原則として使わない漢字があります。プロのライターはそれに従って書いており、その原則から外れたものは、文芸作品でもない限り、編集者が勝手に直してしまいます。
プロが使わない漢字、それは、連体詞、助動詞、助詞、接続詞や副詞の一部などです。次に例を挙げてみましょう。
ここには無い様だ → ここにはないようだ 電車が遅れた為 → 電車が遅れたため 三十分位 → 三十分くらい 知っている筈だ → 知っているはずだ 又、或るときは → また、あるときは 状況は更に悪化した → 状況はさらに悪化した 既に知っている → すでに知っている 遂に成功した → ついに成功した |
判断が難しいのは副詞です。漢字の持つ意味性が強く残っている副詞は、仮名で表記すると逆に違和感を覚えるものも少なくありません。たとえば、次のような副詞は、漢字にしても仰々しさを感じさせません。そのため、漢字表記が多く見られます。
案外 主に 現に 強いて 徐々に 絶えず 何しろ 非常に 妙に 優に |
なお、自分が使おうとする漢字やその音訓が、常用漢字の範囲内かどうかがわからないときは、辞典で調べてください。国語辞典でもよいのですが、編集者たちが重宝しているのが用字用語辞典です。常用漢字であるか否かの他に、同音異義や送り仮名などの確認にもよく使われます。
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