紋切り型の表現を避け、自分の言葉で書く
紋切り型とは?
紋切り型の表現とは、使い古された陳腐な慣用句というような意味です。「ステレオタイプ」などともいわれますが、この言葉も典型的な紋切り型の上に、今ではほぼ死語となりつつあります。
文章を書く上で、なぜ紋切り型はいけないのでしょうか? それは、結婚式や各種パーティなどでよく耳にする形式的なスピーチを考えればわかります。
「本日はご多忙中にもかかわらず、またお足もとの悪い中、ご足労いただきまして誠にありがとうございます」
「ご列席の諸先輩方を差し置き、はなはだ僭越ではございますが、ご指名をいただきましたので、乾杯の音頭をとらせていただきます」
このような無味乾燥な前置きを延々と聞かされる側は、たまったものではありません。これでは心が感じられません。ひたすら無難に、かつ(世間から見て)立派に挨拶をこなそうという気持ちはわかりますが、過剰な謙遜の言葉の羅列が、人によっては逆に尊大な態度を際出させるという効果さえ生み出します。
紋切り型は、社会的な儀礼と考えればある程度やむをえない面もあるかもしれませんが、文章では避けたい表現です。
比喩的表現に多い紋切り型
文章における紋切り型は、比喩的な表現に多く見られます。例えば、
のみの心臓
カモシカのようにすらりとした足
走馬灯のように駆け巡る
といった表現です。これらが使われ始めた頃はしゃれた比喩として多くの人に新鮮な印象を与えたのでしょうが、今では手垢のついた陳腐な表現となってしまいました。さすがにこうした古めかしい比喩は、新聞や雑誌ではほとんどお目にかかりませんが、うまい形容が見つからずに安易に使ってしまうおそれは誰にもあります。
そもそも現代では、形容詞や副詞などの修飾語はできるだけ削るのがすっきりした文章とされます。オリジナルのうまい表現が見つからないのなら、比喩で飾り立てる欲望は捨てましょう。
新聞で見かける気になる表現
これは紋切り型と言えるかどうかわかりませんが、そのボーダーライン上にある比喩的表現は新聞でよく見かけます。例えば次のようなものです。
~と頭を抱えた。 ~と肩を落とした。
~と振り絞るように言った。 ~と声を震わせた。
~と胸をなでおろした。 涙をのんだ。
新聞記者やデスクも文章のプロですから、紋切り型は極力避けようと努力しているはずです。でも、限られたスペースの中で時間に追われて書く場合、「~と肩を落とした」とするのはとても便利です。「~とがっかりした様子で言った」などとするよりも気が利いた感じがする上に、何よりも字数の少ないことが新聞記事では至上命令です。それでも、ときどきは表現を変えて欲しい、と願うのは欲張りでしょうか?
紋切り型の言葉は、当初の意味が変化する!?
あの言葉が頻繁に使われ出してから、二十年は経つでしょうか。新聞でよく見かける「温度差」です。「温度差」の意味は、当初は「言葉の上では一致したが、その推進、実行の段階で熱心さに差が出てきた」というようなニュアンスでした。
ところが次第にその意味は、熱心さの違いではなく、考えている中味(本音)の違いを表すニュアンスに変わってきました。もともと「言葉の上のみの一致」は、政治家や官僚の“お家芸”(これも紋切り型の慣用句?)であります。当初から意図が異なるのだから、熱意に差があるのは当然のこと。それは当事者も暗黙の了解事項で、記者たるもの、それを知らないはずはありません。その隠しきれなくなった本音(質の差)を、温度差(程度の差)と表現するのはいかがなものでしょう。
かつて日本の首相や大臣たちがよく使った決まり文句「慎重に検討して善処する」は、やがて「何もしない」という意味だということが世間にばれてしまいました。今日、初めから熱湯と氷水くらい思惑の異なる人たちの表向きの合意が、ついにほころびを見せたとして、「温度差がある」と書くのは、私には安易さを通り越して無神経にさえ思えます。
文章を書き慣れているが故の紋切り型への依存。ここから脱却することこそ、新鮮な文章を書き続けるために忘れてはならないことです。それは単にレトリックの問題ではなく、観察と認識の問題ともいえます。時間が許す限り、別の表現を探す努力をすべきでしょう。私自身への戒めもこめて……