推敲のコツ―自己添削と自己リライトについて
推敲は文章を完成させる上で最も難しい作業です。なぜなら、推敲は単に自分の文章のおかしいところを見つけて自己添削するだけでなく、文章全体の流れをチェックし、全体として自分の最も伝えたいこと(テーマ)が一つの作品として表現できているかをチェックし、リライト(書き直し)しなければならないからです。
多くの読者は、この「添削」と「リライト」の違いが判然としないのではないでしょうか。そこでまず、両者の違いについて説明しておきましょう。
添削とは、主に部分的におかしいところを直すこと
添削では、主に言葉の用法や文法的な誤りなどを直すことが中心になりますが、本来は文字通り、足りない語句を添え、不要な語句を削ることです。学校などで作文の指導として行われる添削では、もっぱら誤字脱字のチェックと、文法的な誤りの修正、舌足らずで意味の分からない部分への加筆に限られるのが普通です。
個々の文の中で解決する添削がほとんどで、よほど親切で力量のある先生でない限り、2つの文にまたがった直しや、文の順番を入れ替えるなどの添削はありません。
添削で対象となる文法的誤りや、わかりづらい表現などには次のようなものがあります。ほとんどが国語的なレベルの問題であり、「この文章で何を伝えたいか」という表現レベルの問題にまでは踏み込みません。
リライトとは、全体が無駄のない一つのメッセージとなるように書き直すこと
リライトとは文字通り文章を書き直すことですが、上の「添削の対象となる文」をすべてチェックして書き直しても、それだけではリライトとは言いません。リライトとは文章全体を一つのテーマに沿った「書き手のメッセージ」という観点から、表現を見直すものです。
次にリライトの仕事をしている立場から、一般的な添削のレベルを超えた文章見直しのポイントを挙げておきましょう。
文章のセオリーを知り、問題点を見つける力をつけること
文章技術は一朝一夕には身につきませんが、その第一歩が文章のセオリーを知ることです。基本的なことは、本サイトの文章講座1・2で学ぶことができますが、もちろん理解しただけでは不十分で、その知識を実際の文章を書く中で生かさなければなりません。
その際、いったん書き上げた文章を読み返した時に、文章のセオリーを知っていれば問題の箇所がいくつも発見できます。その部分を修正しては読み返すことで、自己学習ができます。文章上達で最も大事なことは、自分の書いた文章の問題点がどれだけ具体的に発見できるかなのです。
読み手の気持ちになること
ところで、人間はだれもが「頭でわかっていても、それができない」という経験をたくさんしていると思います。文章については特にそういうことが起こりやすいものです。なぜそうなるかと言いますと、「言葉の表現」というものは、自分の気持ちから離れて客観的に判断することが難しいからです。自分の体験や思想、感情、社会的立場、作品への思い入れなどから自由になり、自己愛を完全に消し去ることは不可能といってよいでしょう。
しかし、それを弱める方法はあります。一つは少し時間を置いてから、一読者の気持ちになって書き上げた文章を読むことです。それが難しければ、たとえば家族や友人、職場の人、趣味仲間、近所の人など、特定の個人になり切って読むようにするとよいでしょう。表現する側からではなく、それを受け取る側から読むことによって、見えてなかったことがたくさん見えてくるものです。