文章を読みやすくする句読点の働き
長い文は、読者の読解力と忍耐力次第
長い文が多過ぎるかどうかには、個人差がありますが、読んでいて「。」が少ないと感じるか否かが目安になります。なかなか「。」が来ないなあ、と感じさせる文章は、読者の読解力と忍耐力を当てにしているわけです。
「読みたい人は勝手に読んでくれ」「わかる人だけがわかればいいんだ」…
そんな態度の文章ともいえます。ですから、本講座の読者には長い文が延々と続く文章はおすすめできません。基本的には「短い文を心がけましょう」となるわけです。
日本語は最後まで読まないと大事なことが分からない
さて、日本語は主語の後に修飾語が続き、最後に述語がきますから、いちばん肝心なことが最後まで読まないとわからない仕組みになっています。たとえば…私は先週の日曜日に高校時代の友人から借りたCDを聞いて素晴らしいと思った。 |
二通りに解釈される意味
問題はもう一つあります。それは「先週の日曜日」がCDを聞いた日なのか、それとも借りた日なのかがわからないことです。前者の場合は「、」をつけることで解決します。先週の日曜日に、高校時代の友人から借りたCDを聞いて、私は素晴らしいと思った。 |
初めの読点は意味を明確にする目的があるのに対して、二番目の読点は「~て」という接続助詞でいったん息継ぎをさせて、読みやすくしています。主語と述語の間の長さも気になるので、「私は」を述語の前に移動しました。
次に、日曜日にCDを借りた意味の場合ですが、これも「、」をつけることによって何とか解決します。しかし、あまりしっくりとはしません。
先週の日曜日に高校時代の友人から借りた、CDを聞いて、私は素晴らしいと思った。 |
意味の混同を避けるために挿入した読点が、「借りた」と「CD」を分断したため、文の滑らかさが失われました。そもそもこの文は、CDを日曜日に友人から借りたことと、そのCDが素晴らしいことを一つの文に入れること自体に無理がありました。両者は別の次元であり、それを欲張って同時に表現したため、最も伝えたいことの印象が弱まっているのです。
一つの文にあれもこれも入れない
結論は「、」に頼らず、「。」を増やすこと、つまり分割することです。文を短くすることによって、より具体的な状況を伝える修飾語を加えることが可能になりました。 〔添削例〕 先週の日曜日に、高校時代の友人からあるCDを借りた。さっそく聞いてみて、素晴らしさに私は圧倒された。そのCDとは…… |
ここでも読点が意味の把握を助けています。「日曜日に」は、「友人から」と「CDを」を飛び越えて「借りた」にかかっていますから、ここで息継ぎをするのが簡明です。
なお、テーマからそれますが、「あるCD」としたのは、唐突な印象を和らげるとともに、読み手に謎を投げかけて興味を持ってもらうためです。
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