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第2章 読みやすい文章
漢字の当て字、旧表記、仮名との使い分け

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漢字の当て字、旧表記、仮名との使い分け

 

旧表記の熟語と当て字

 昭和二十年代前半以前に生まれた方は、今日の常用漢字表にはない漢字や、いわゆる当て字が頻繁に出てくる本を読みながら育ちました。人によっては、いまだに旧表記の熟語になじんでいる方もいます。また、当て字をそれとは知らずに使うことも、珍しいことではありません。しかし、活字になることを目的とした文章では、できるだけ常用漢字で認められた漢字に置き換えるか、表現を変えるようにしなければなりません。

 次は、旧表記を新表記に置き換える代表的な例です。

暗誦 → 暗唱     萎縮 → 委縮
叡智 → 英知     恰好 → 格好
奇蹟 → 奇跡     稀薄 → 希薄
讃美 → 賛美     史蹟 → 史跡
手帖 → 手帳     燈台 → 灯台
庖丁 → 包丁     廃墟 → 廃虚

 次に当て字の例です。仮名書きが望ましいとされる単語の一部です。

素敵 → すてき       一寸 → ちょっと
腕白 → わんぱく      女形 → おやま
天晴れ → あっぱれ     流石 → さすが
駄洒落 → だじゃれ     出来る → できる
無駄 → むだ        無理矢理 → むりやり

漢字と仮名を使い分ける単語

 同じ漢字でも意味や使い方によって、漢字と仮名を使い分けたほうがよい場合があります。特に、補助動詞と呼ばれる単語は、仮名書きのほうが読みやすくなります。

 補助動詞というのは、「買い物に行って来る」というような文の「来る」という単語のことです。この場合の「来る」は「行く」に比べて意味が弱く、調子をつけるために添えたような形になっています。「買い物に行ってくる」と仮名にしたほうが読みやすくなるでしょう。

 補助動詞でなくても、本来の意味が弱まった使い方の場合、仮名にするのが望ましいといえます。たとえば「言う」という単語は、「しゃべる」という動作を表しているときは漢字を使うのが自然ですが、「テレビと言うメディア」などの使い方の場合、「テレビというメディア」と仮名にしたほうが読みやすくなります。意味的にも、「テレビ」とだれかが発声しているわけではありませんから、漢字にすると雰囲気が重たくなります。

 次は、漢字と仮名を使い分けたほうがよい場合の代表例です。

上げる 荷物を棚に上げる。
    手料理を作ってあげる。
行く  京都に行く。
      流れていく。
内   福は内。
      そのうち、何とかなるだろう。
限り  限りなく広がる海原。
      出場するかぎりは、勝ちたい。
切る  髪を切る。
     とても食べきれない。
事   事は重大だ。
      大切なことを忘れている。
通り  その通りはにぎやかだ。
     まさにそのとおりだ。
見る  歌舞伎を見る。
      自分史を書いてみる。
物   大きな物は持ち込めない。
    ものを言う元気もない。

漢字の表記は統一する。誤字にも注意

 漢字の表記については、著者の感覚の違いや表現上の意図もあり、細かいところを見れば出版物によってばらばらです。しかし、同一の文章の中で表記がばらばらなのは見苦しいものです。同じ出版物は、表記の基準を統一するのが出版界の常識です。

 たとえば、あるところで「絶えず」と漢字を使っておいて、別のところで「たえず」としてはいけないのです。同じ用法なら同じ表記をする。これは原則ではなく、鉄則です。しかし、口でいうほどたやすいことではなく、単行本などの校正では、表記の統一は編集者泣かせの作業となります。

 
 表記の統一は漢字ばかりでなく、送りがなについても同様です。「表わす」は「表す」とも表記できますが、両者が混在しないように注意が必要です。

 そのほか、漢字で気をつけなければならないのは、当たり前のことですが
誤字です。知っているのについうっかり間違えてしまう場合や、うろ覚え、子供の頃から間違えて覚えていて、修正されない場合などがあります。思い込みの場合はどうしようもありませんが、少しでも気がかりなことがあったら、意味や用法の確認も含めて辞書を引く習慣をつけるとよいでしょう。

 また、パソコンの変換ミスと校正ミスが重なると、つじつまの合わない漢字が世に出てしまうことになります。一般に、書いた本人ほど間違いに気がつきにくいものです。著者は文章表現が適切かどうかに意識が集中しがちだからです。

 漢字に限らず、自分を疑うことは文章を書く上で常に大切なことです。 

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