文章とは文と文を論理でつないだもの
文章は単なる文の寄せ集めではなく、それぞれの文が何らかの論理的関連性をもって書かれたものでなければならないことを、第一章の始めのほうで述べました。しかし、つながりがあればよいというものでもありません。たとえば事実を羅列しただけの文では、内容的なまとまりはあっても、論理的な構造が弱くなってしまいます。
次に小学生の作文を見てみましょう。
日曜日にお父さんといっしょに近くの林に出かけました。そして林につくと、お父さんが「カブトムシをさがそう」といいました。ぼくはカブトムシが大すきです。それからカブトムシを二人でさがしました。そしてとうとうお父さんがカブトムシを見つけました。それでぼくはとてもうれしかったです。
「そして」「それから」「そして」「それで」という4つの「文をつなぐ言葉」が使われていて、小学生にしてはよくまとまっているといえるかもしれません。にもかかわらず論理が貧弱に見えるのは、それらの接続詞がすべて「前の文に付け加える役割」を持った言葉に過ぎないからです。
語彙力や思考力が不足している子供の作文ですから仕方ないのですが、大人でも事実の羅列に終始すると、小学生の作文のように単調で平板な文章になってしまいます。
では、文と文を結ぶ論理構造にはほかにどのようなものがあるのでしょうか。意外にも文章は次に示すように数学に似ています。
・AだからBである。
・AなのにBである。
・Aであり、かつBである。
このほかにもいくつかの論理パターンがありますが、数学の集合論や論理学そのものだと思いませんか。論理式を記号で書くと難しくなりますが、次のようにやさしい作文で表せば小学生でも理解できます。
今日は雨が降っている。だから運動会は中止になった。〔因果関係〕
今日は雨が降っている。それでも父はウォーキングをした。〔逆説〕
今日は雨が降っている。しかも風も強い。〔付加〕
傍線部の接続詞を入れ替えると、たちまち論理は破綻することを確かめてください。このように文章は、「文と文をさまざまな論理構造によって連結し、全体として一つのまとまった内容を形作ったもの」と定義づけることができるでしょう。
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